概要
明治期の日本は、近代国家として西欧列強に渡り合うための海防力を備えることが急務であった。このため、国家プロジェクトにより天然の良港を四つ選び軍港を築いた。佐世保もその一つで、明治22(1889)年に佐世保鎮守府が開かれた。
佐世保鎮守府の開庁に伴い、敵上陸部隊や航空機からの軍港防衛のため、陸軍の砲台関連施設である佐世保要塞や、海軍防備隊・警備隊の高射砲台群が設置された。これらの施設に守られるように、軍港周辺には鎮守府の庁舎や海兵団の施設群が広がっている。鎮守府と、それを取り巻く施設群の設置は、現在の佐世保の街の成り立ちに大きく関わっている。
高任地区は、1889年に開坑した高任竪坑、1899年に開坑した道遊坑があり、佐渡鉱山の採鉱拠点の一つとして位置付けられており、採鉱・選鉱施設をはじめ、電力供給のためのインフラ施設等、様々な役割を担っていた。現在でも高任粗砕場、高任貯鉱舎などの施設が残り、佐渡鉱山 電車車庫(機械工場)では、実際に使用されていた工作機械類の展示が行われている。
高任粗砕場は、1937年頃から1989年まで使用された施設で、機械による鉱石の分級・破砕が行われた。1989年まで使用された。ここで破砕された鉱石はベルトコンベアーで貯鉱舎へ運ばれた。
高任貯鉱舎は、1938年から1989年まで使用された施設で、粗砕場からベルトコンベアーで運ばれた鉱石を一時保管するための施設で、2,500tの鉱石を貯めることができた。
北沢地区は、1869年の鉱山官営化以降、最も景観の変化した地区である。19世紀後半には、選鉱・製錬拠点として位置付けられ、新たな鉱山技術の導入とともに施設の更新が行われてきた。現在でも、19世紀末から20世紀初頭にかけて建設された旧北沢青化・浮選鉱所、1908年に建設された北沢火力発電所発電機室棟、1930年代から1940年代前半に建設された北沢浮遊選鉱場、50mシックナーなどの遺構が残るほか、北沢地区の入口には旧御料局佐渡支庁跡の建物があり、相川郷土博物館として鉱山に関係する展示が行われている。
北沢浮遊選鉱場は、1937年に建造された月間5万tの鉱石処理能力を持つ選鉱施設である。当時最先端の技術であった浮遊選鉱法によって、最高の年間産金量を記録した。現在、建物上屋は撤去され、施設基礎のみが残っている。
大間地区は、鉱山専用の港や火力発電所があった地区で、鉱山専用の港であった大間港は、金銀の搬出や鉱山資材の搬入を目的として造られた。1887年に始まった港の埋立て工事が、波浪によって失敗したため、愛知県などの堤防や護岸工事を手がけた、「人造石工法(消石灰と土砂を混ぜた種土に水を入れて練った「たたき」と石積みを組み合わせて造る工法)」の開発者・服部長七を招聘し、彼の指導のもと、1890年から工事を着工し、1892年に完成した。その後、クレーン台座やローダー橋などの港湾設備が設置され、1940年には火力発電所が建設された。現在も人造石の護岸やクレーン台座などが残され、築港当時の姿をとどめている。
令和7年度 文化資源活用事業費補助金(文化財多言語解説整備事業)