竹田城 PHOTOGRAMMETRY WEB VR

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写真提供:吉田利栄

竹田城跡は、全国でもまれな完存する山城遺跡であり、虎が臥せているように見えることから「虎臥城」とも呼ばれている。

晩秋のよく晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、但馬地方の風物詩となっている。この雲海に包まれた姿は、まさに天空に浮かぶ城を思わせ、「天空の城」・「日本のマチュピチュ」という異名を持つ。

城下町として栄えた竹田の町には旧酒造場や寺院などがあり、往年の歴史を感じることができる。

文化財の紹介

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竹田城跡

足利氏が京都に幕府を開いた室町時代。「応仁の乱」の西軍総大将としても名高い但馬守護山名宗全(持豊)によって嘉吉年間(1441~1443)に竹田城は築城されたと伝わる。初代城主は太田垣光景。播磨と但馬の国境を守る拠点として、また播磨を攻撃するための出撃拠点として、重要な役割を担う山城であった。 安土桃山時代、羽柴秀吉(のちに豊臣秀吉)の弟・秀長は、但馬の諸将制圧と生野銀山確保のため竹田城攻めを命じられ、制圧後に城代となる。秀長の属将桑山重晴を経て、秀吉に臣従した龍野城主赤松広秀が、竹田城最後の城主となった。 1600年関ヶ原の戦いで西軍に属した赤松広秀は、その後、東軍亀井氏の誘いで鳥取城攻めを行うものの、城下大火の責を負われ、徳川家康の命により自害。城主を失った竹田城は、その後、江戸幕府の方針により廃城となった。廃城後に現在の石垣だけが残る竹田城跡へと変貌を遂げた。

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旧木村酒造場
店舗兼主屋

酒造り約400年の歴史をもつ酒造場。

木村家は武田信玄の家臣、飯尾新左衛門を先祖に持ち、武田氏滅亡ののち姓を木村に改め、現在の加古川に蟄居したと伝わる。

木村家が竹田に移り酒造りを始めたのは1625年頃。その後2度の火災に遭い1902年頃、現在の姿に建て替えられました。

竹田城跡からも見える広い敷地と本卯建を有する主屋は竹田を代表する建築遺産である。現在、ホテルとして活用されている。

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旧木村酒造場
貯蔵所

主屋と同じく1902年頃の建物で、1877年の火災以前の建物を再現したと伝えられる。酒を熟成する貯蔵所として使用された。

現在は情報館「天空の城」として資料館兼案内所となっている。

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